こんにちは。もみじです♪
先日、某報道番組で、あるコメンテーターの女性が、
東大で祝辞を述べられた上野千鶴子さんの経歴に対して、
「あの方はラッキーなんですよ!」と言った言葉が耳につき、心がざわつきました。
他人の栄光を「ラッキーな人」とまとめるのって、どうなの?って。
他人を「ラッキー」と言う人の心境
40代のころ、少し年下の女性から、
「○○さんは苦労したことないんじゃないですか?運がいいし…」と言われ、なんとも複雑な気持ちになったことを思い出しました。
明るく朗らかに見られていることの安心感と、
私にだって色々あるわよ、という、ちょっとした憤り。
その言葉を私に言った女性は、長らく体調を崩し落ち込んでいて、毒を吐かずにはいられない心境‥と今になれば冷静に受け止められるのですが…
当時、何事も「前向きに捉えるのが良し!」という考え方しかできなかった私は、矢継ぎ早に励ましのつもりでポジティブな言葉ばかりかけ、聞いてほしいだけの弱った心に対しての寄り添い方を知らなかったのです。
そう言われた私は、返す言葉が見つからず、しばし沈黙。
自分より他人が運が良いように見える、苦労知らずに見える、自分より幸せに見える…そんな時は、自身の心に余裕がなかったり、現状に不満を抱えているときなのでしょう。
幸せは偶然の賜物ではない
「隣の芝生は青い」と言いますが、
幸せそうに見える人、いつも笑っている人、誰に対しても明るい人や、にぎやかな家庭には、人知れず陰の努力や計り知れないほどの乗り越えてきた目には見えない傷があると思うのです。
私は、笑顔の向こうにある「積み重ねてきた人生」を想像できる人とできない人の違いって、何だろうと考えたことがあります。
なぜそんなこと?
それは自分自身が若い頃、30代前半くらいまでは、全く想像できない人だったからです。
30代なかばという、いい大人になってから、本気で落ち込み、心が地を這って、孤独を感じ、なかなか抜けられず…という状況に陥り、
そういう自分と向き合い、受け入れ、
結果、自分自身が変化していく以外、そこから抜ける道がないことに気づき、、、
具体的に行動に移し、その経緯の中で、
見守ってくれていた人や環境に感謝をし、ほんの少しの光が見えてきた時、ようやく「何か」が解ってくるような…。
遠く長い道のり。
それを本能的に自分のものにしていける人と、
ことあるごとに、都度、自問自答しながらでなければ前に進めない人がいるとしたら、
私自身は間違いなく後者だったため、そうとうな回り道をしてきたように思います。
ルーツを想像すると優しくなれる
一枚の写真に写されたその表情は、その人がたくさんの時間を生きてきた軌跡のほんの一瞬。
今日逢った人、すれ違った人は、なぜ、あのとき、あんな態度をとったのだろう…
と、ちょっと解せない気持ちになったときや、自分自身が引きづられそうになってしまったら…
あの人もしかしたら、
嫌なことがあったのかもしれない、
具合が良くなかったのかもしれない、
何か出口が見えない悩みを抱えているのかも…
と、その人のその向こうを想像し、もっと向こうのルーツまでイメージできたら、
意外にも短時間で自分のもやもやは、なくなります。
要は、人に対して不機嫌な態度を取る人は、
その「人のルーツ」をイメージすることができない人…ということで納得できるから。
おわりに
人を羨んだり、人と比べてひがんでしまったりしたくない…。
誰でもがそう思うでしょう。
私自身も日々精進です。
大事なものは目には見えない。
そこに気づけることで少しでも優しい気持ちになれたらと思います。
そんなことを考えさせてもらえた「あの人はラッキー」といフレーズでした。
そのコメンテーターさんに感謝…ですね(^.^)♪
最後までお読みいただき、ありがとうございます(^.^)♪