こんにちは。もみじです♪
先日、某番組で、某コメンテーターの女性が、
東大で祝辞を述べられた上野千鶴子さんの経歴に対して、
「あの方はラッキーなんですよ!!」と言いました。
え?そんな…浅いこと、言わないで…ほしい。
他人のことを「ラッキー」と言う人の心境って
私ごとの話ですが…
15年以上前に、
「○○さんは苦労したことないんじゃないですか?」と言われた時のことを思い出しました。
その言葉を私に言った女性は、体調を崩し落ち込んでいて…。
私は励ましのつもりで、ポジティブな言葉ばかりかけてしまっていたことに、今さらながら気づいたのです。
今から思えば、別の寄り添い方があったのだろうと胸が痛みます。
言われた私は、返す言葉が見つからず、
「私だって色々あるわよ」と心の中で苛立っていました。
自分より他人が「運が良いように見える」「苦労知らずに見える」時は、その人自身に余裕がない時なのでは、、と思います。
上野千鶴子さんに「あの人はラッキー」と言った女性コメンテーターに関しては、
時折放つ言葉や表情が、演じていない「素の状態」であることがあり、女優ではなく法律関係の職業の方ゆえに、「魅せるためのトーク」を考えていなかったのでしょう。
まさに「本音」トーク。
法律のプロであっても、テレビ的に「ウケるトーク」をしない自然なところがまた良いのですが…(^.^)
幸せは偶然の賜物ではない
「隣の芝生は青い」と言いますが、幸せそうに見える人、いつも笑っている人、やたらと明るい人や家庭には、人知れず陰の努力や、計り知れないほどの、乗り越えてきた見えない傷があると思うのです。
笑顔の向こうにある「積み重ねてきた人生」を想像できる人とできない人の違いって、何だろうと考えたことがあります。
自分自身が、若い頃、30代前半くらいまでは、想像できない人だったからです。
本気で落ち込み、心が地を這って、孤独を感じ、なかなか抜けられず、
そういう自分と向き合い、受け入れ、自分自身が変化していく以外、道がないことに気づき、、、
具体的に行動に移し、その経緯の中で見守ってくれていた人や環境に感謝をし、光が見えてきた時、ようやく「何か」が解ってくるような…。
それを本能的に自分のものにしていける人と、
都度、自問自答しながらでなければ前に進めない人がいるとしたら、
私自身は間違いなく後者だったため、回り道をしましたが…(^.^)
今、目に見えている、この瞬間は
一枚の写真に写されたその表情は、その人がたくさんの時間を生きてきた軌跡のほんの一瞬。
ときには集合写真でうっかり瞬きをして目を閉じてしまった写真。
それこそ0、何秒の一瞬…(・・)
『氷山の一角』という言葉がありますが、生活を共にしている家族以外の人と向き合い対話している時間というのは、大概が人生のほんの一コマ。
同じ人と何時間も目を合わせて対話し続けることは滅多にありません。
対話している相手に見せている「姿」は、自分の人生全般の極々一部分。
それ以外の時間の方がはるかに多く、場合によっては今日会ったその人とは一期一会かもしれない。。。
おわりに
今、目の前にいる人の「その向こう」を想像できる自分でありたいと、いつも思いながら、日々精進の50代を刻んでいます。
大事なものは目には見えない。
そんなことを考えさせられた「あの人はラッキー」・・・でした。
某コメンテーターさんに感謝!
最後までお読みいただき、ありがとうございます(^.^)♪