こんにちは。もみじです♪
お盆休みが明けて、いつもの毎日に戻られた方も多いのではないでしょうか。
職場、家庭など、お休み前と同じ環境のはずなのに、
なんだか色んなことが面倒(><)。
特に人間関係とか…
先日の記事で、苦手な人と出会ったときは「意識改革を...」ということをお伝えしました。
漠然と「意識改革」といっても、具体的にどう考えればいいのか、実践する方法を、今日はお伝えします♪
自分自身の人間性を高めることで、生きるのが楽になっていく…というお話です。
寛容な心を持つにはどうすれば
人間性を高めていくためには物事に対する「寛容さ」が必要です。
大事なことは「人はみな違う」ということに気づき、相手の考え方を認めるということです。
それは相手に同意するということとは違います。
「自分とは違う」ということを認めるのです。
正解か不正解かという論点で突き詰めていくと、争いが起きてしまいます。
誰でもが自分が正しいと思うと、相手が同意してくれるまで、論議を続けたり、感情的になってしまったりするものです。
「正しい」ということに捕らわれなくなると、相手との関係を緩く気楽なものにすることができます。
論議を交わすのか、受け入れるのか…
日々の生活のなか、人と関わり会話することで意見が合わなかったときには、常にどちらかを選択していることでしょう。
無理に相手に同意する必要はないし、相手が同意してこない場合でも、それを受け入れればいいのです。
そして、話し合いが平行線のまま終わり、決着がつかないことを受け入れる。
平行線で終わったことも意識し、自覚する。
こんな経験の積み重ねが「寛容さ」を持てるようになる心の変化の過程なのです。
共感力を高めるには
「寛容さ」と同様に、「相手に共感し表現する」ことも、人間性を高める上では重要な要素と言えます。
「共感」というのはどういった気持ちなのでしょうか。
例えば妻が、夫にちょっとした愚痴を話し…
その後、妻は「夫が話を聞いてくれない」と思っていて、夫は「妻の話を毎晩聞いている」と思っているとします。
まさに誤解が生じています。
この場合、妻の話に対して、夫は解決策を見出そうとする反応だから…なのです。
妻は共感して欲しいだけなのに、夫は「こうすれば良いのでは?」と解決策を打ち出し、妻は話を聞いてもらったという感覚にならないのです。
妻は「辛かったんだね」という言葉をもらいたいだけ。
わかってもらえたという安心感が得られると、「話を聞いてもらった」という気持ちになるものなのです。
つまりこの場合、「夫が妻に共感してあげていなかった」ということです。
なんだか不思議な話ですよね。
第三者から見たら夫は妻の「話を聞いている」ように見えるのに、妻は夫に「話を聞いてもらえていない」と思っている...ということなわけですから^^;
こういったケースは夫婦だけでなく、友人、親族、ご近所、社会での人間関係、どこにでもある場面です。
「話を聞いてくれる人」=「共感してくれる人」ということです。
ここでお伝えしているのは「感情への共感」ですが、
「感情への共感」とは、
相手の感情を推察して、自分がその感情を持ったときのことを思い出し、気持ちを理解しようとして話を聴くことです。
もちろん同じ体験はしていないわけですから、自分が何か辛かったときのことを思い出すなどして、その辛い気持ちに共感します。
そういった意識をすることを重ねていくと、「共感力」というものが高まっていきます。
そして「共感力」を高めるのに有効なことというのが、
自分自身の感情を、抑えたりごまかしたりせずに、日ごろから人の心を感じるようにすることです。
これは自分自身に向き合う訓練ともいえます。
自分の感情を理解できている度合いに応じて、他人の感情も理解できるようになるのです。
人に対して無神経と思われる人は、実は自分に対しても無神経であるということがありがちです。
自分の感情の起伏に気づいていなかったり…。
でもその「鈍感さ」が、周りを朗らかにする場合もありますので、「敏感に人の心を感じること」も一長一短とも言えますが…(^^ゞ
人を大切にしたいと思うのなら、自分自身をも大切にしてあげることが必要ということですね。
そして、自分を大切にすることは、自己肯定力を上げることにもつながりますので、日ごろから、人と会話するときには「共感力」について意識をしてみると、その積み重ねで、自分自身の心が磨かれていくでしょう。
まとめ
自分を取り巻く環境に対してや、人に対して、必要以上に過敏になることはありませんし、いつも繊細なアンテナを張っておきましょうというお話ではありません。
自分自身についてや人との関わりについて、何か違和感を感じたときは、「寛容さ」や「共感力」について、意識を向けてみると、悩んでいた人間関係の出口が少しでも見えてくるのではないかと思います。
様々な考え方がありますが、いつの時代も「人」は「人」で安心し、ときに不安にもなる。
そんな生き物と私は思います(^^)
最後までお読みいただき、ありがとうございます(^.^)♪