きれいの素

年齢を重ねても、視覚障害があっても、小さな幸せはすぐそこに🎶

夫が家を空けたとき妻は犠牲になっているのか、役に立っているのか…

 こんにちは。もみじです♪

 

厚労省のパワハラ問題のニュースで耳に飛び込んできた言葉。

「仕事が多く、帰宅が遅くなり、家族を犠牲にしないといけない」

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私には違和感のある言葉でした。

夫の不在は家族が犠牲?

「夫の帰りが遅いことで家族が犠牲になっている」

この言葉の中には、何人かの登場人物があります。

・家に帰れない夫

・家で待っている妻、子供、例えば介護を必要としている親など

若い世代ではまだ介護は無い家庭が多いかもしれませんが。

 

夫が仕事で不在がちなとき、妻が「自分は犠牲になっている」と感じた場合、夫に不満をぶつけ、夫は「家族を犠牲にしている」と罪悪感にさいなまれるのでしょう。

 

ここで妻の立場で考えたとき、「犠牲になっている」と思わなかったらどうなっていたのでしょうか。

 

子育て世代、家庭内のことに夫が介入しないことで、妻が大変な思いをすることはたくさんあります。

 

ですが、始めから居なかったら、

「帰りが遅いから犠牲になる」という発想は生まれません。

 

帰って来るのを待ちわびることで、帰宅の遅さに不満が爆発し、

「妻子が犠牲」という発想に発展すると思うのです。

 

この場合の「犠牲」は感情的なものということ。

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単身赴任12年目、夫の不在が普通になったとき

我が家は、息子たちが幼少から思春期の時期の12年間近く夫が単身赴任でした。

 

赴任先は国内です。

帰宅は月に1回の週末。

 

日曜の午後3には単身赴任先に戻っていきました。

 

両家の実家は遠く、子供を預けることは出来ず、その間はご近所のお世話になりながら暮らしました。

 

日曜の3時に夫を見送るとき、

「夫の背中を見るのはこれが最後かもしれない」

「赴任先で事故にでも遭ったら絶対に間に合わない」とか、

そんなことばかり考えていました。

 

結婚生活の最初から、今のように携帯電話はなく、朝、夫が出社したら、夜11時半頃帰宅するまで連絡が取れないのは普通で、緊急事態のときには会社に電話をし、夫を呼び出してもらう…。

 

今の時代にはとても面倒そうだけど、その時代はそれが普通。

 

営業職だった夫は、外回りが多く、その時点で連絡がつかなかったこともありました。

 

何が普通か?

 

普通という基準は、自分自身が生きてきた過程の中で、いつの間にか自身が決めているようなもので、その基準からはみ出すと、苦しくなったり、「犠牲になっている」「不幸である」と感じるのではないでしょうか。

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夫不在で培ったもの

夫が単身赴任中、思春期の息子達は激しい兄弟喧嘩を日々、繰り返していました。

 

兄弟喧嘩の仲裁に入ることで、母との三角関係の構図が露呈され、どちらの肩を持っても、喧嘩に拍車がかかり、双方また殴る蹴る^^;

 

父親がいたら制してくれるのに

通常は思うのでしょうが…

 

私は…

思ったこともありませんでした。(^^ゞ

 

なぜって、

 「居ないから」

望んでも叶わないことをイメージしなくなっていたんですね。

 

現状を変えられないのに、不満を持てば持つほど、自分が苦しくなることがわかり、

ある時期から、気持ちを切り替えたのだと、今になれば思います。

 

夫が不在であることをマイナスなものにしてしまったら、いつか彼らが成人する頃に、父と息子で「男同士で膝を突き合わせてほしい」と私が願っても、自分たちを犠牲にした父親と話をしたいと思うか

思わないでしょう。

 

そんなんことを考えて、行き着いたのが、

私達は「犠牲になっていると思いたくない」。

事あるごとに、少しずつ私は自分自身の思考を変えていきました。

 

今では、おかげさまで理想を上回るほど兄弟仲が良く、夫との関係性も、いたって良好。

「これでよかった」ということにしていくのは自分の心次第と実感します。

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「幸せはいつも自分の心が決める」

相田みつをさんの言葉です。

 

何を幸せと思うかは自分が決めること。

そして、一緒に暮らす子どもたちは、その姿を見て育っていくということを感じたとき、私は「幸せだ」と思うことから始めました。

自分を取り巻くこと全てのことに感謝しながら…。

 

「犠牲になっている」と思うのか、「この経験すをることで強くなっていける」と思うのか、自分次第です。

これは夫の不在という観点だけではなく、様々なことにも当てはまります。

 

悩んでしまったときは、心の視点を遠くに置いて、自分が今、目の前のことに振り回されていることに気づくようにしました。

そんなとき(悩んでいるとき)はたいがい「感謝」を忘れています。

 

いいのです。

思い出せば(^.^)

 

感謝の心を思い出すと、

「なんだかんだ言っても、自分は幸せだ」ということに辿り着き、眠れます♪

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おわりに

SNSがなかった時代に子育てをしてきた世代の、昔の苦労話は「時代錯誤」…という声が聞こえてきそうですが、昨今の様々な記事や報道の中に、「それで全て片付けていいの?」という事柄が溢れているように感じます。

 

不満を感じる出来事は、生きている限り続きます。

 

自分の思考を変えていき、それを維持し続けるのは容易いことではありませんから、壁を乗り越える醍醐味を知ってしまった者勝ちといった感じでしょうか(^.^)

 

・自分の思考の癖に気づく

・悩んだら視点を遠くに置く

 

この2つは私自身、今も自らの心を整える時に意識しています。

 

現状に不満を感じたとき、どう捉え、どう生きるかで、ハッピーな毎日を作っていけるかが決まってきます。

 

せっかくの一度の人生。

犠牲になっていると考えるより、役に立っている、支えになている、自分は強くなっている…

そう思い込んで生きたいです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます(^.^)♪

※当記事は厚労省のニュースへの批判ではありません。

 

 

 


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