こんにちは。もみじです♪
鈍感に生きることができたらラクなのに…
と、思うことはありませんか?
人はそんなに自分を見ていないのに
世の中の人は皆、自分の日々を必死でいきているので、自分が思うほど、他人は自分のことを考えてなどいない。
なのに、周りの反応が気になりだすと、心がキョロキョロして前を向けない、または前に進めなくなっていしまいます。
もっと言いたいことを言って、やりたいことをやって、いいはずなのに…
そんなとき、
『鈍感力』『考えすぎない』『気にしない練習』『ためない練習』…
など、タイトルを見ただけで、思考改革ができそうな本を検索します^^。
『鈍感力』
『鈍感力』著者 渡辺淳一。
平成19年に刊行された本を、今さらですが、読みました。
※正確にはKindleで一気に聞きました♪
内容は、
ちょっと無神経に生きましょうよ♪♪♪というメッセージ。
こういった本を手に取る人は、人間関係で何かあったり、自分の敏感さに疲れ、ちょっと鈍感になりたい…という気持ちがあるのだと思います。
「嫌なことがあっても、すぐにケロッとして忘れたい」
「悩み事を引きずりたくない」
「人が言うことに、いちいち敏感に反応する自分に疲れる」
そんな人が、本誌に出てくる様々な人のエピソードに感情移入して、自分に置き換え疑似体験し、物事の捉え方に新しい気付きを得る。
そんなところでしょうか(^^)
著者が男性ということで、潜在的なな感覚が違うこともありましたが、
私個人的には、
「母親になり母性を持ったことで養われた鈍感力」の件(くだり)に、それを「鈍感力」とするのであれば、鈍感力とは容易に体得できるものではないことと察し、自分の磨き甲斐がまだまだあると感じました。(^^ゞ
「ま、いいか」が自己成長になる人
何事も白黒付けないと気が済まない場合、時として自己主張を周りに押し付けてしまいます。
「ま、いいか」と片付けてしまうとモヤモヤして、議論した時間さえもったいないと感じてしまう…。
そういう人が
「気になること」を「気にしない」でやり過ごすには、絶大なエネルギーを要します。
今までの自分に違和感を感じながらも、
「気にしない」「ま、いいか」の思考を持てるようになったとしたら、大きな自己成長と言えるでしょう。
何より、つまらないことでの議論で相手が辟易としている際に、
笑顔で、心からの「ま、いいか」は目の前の人を癒やします(^^♪
人を許し、前に進む。
度量が大きくなった自分を実感でき、自己成長の感覚を体験します。
自己成長を自覚することで自己肯定感が強まり、自分の生き方に自信がついていきます。
「ま、いいか」が自己成長にならない人
人生ずっと、何事も「ま、いいか」で片付けて生きてきた人は、自分自身に「なぜ?」を問いかけず、原因究明と対策のために自身と向き合うことはあまりしません。
何かを成し遂げるために必要なスキルを身につけなければならない時、
壁に当たると超えずに横道に逸れ、すり抜けていきます。
「どこかの誰かに何とかしてもらえるかも」と思いながら、自己改革はせずに歳月を重ねていく可能性が高い。
ここまでだと、「それで大丈夫?」と思ってしましますが…、
幸いにも「鈍感力」はもともと持ち備えていて、さらに切り替え上手。
そこが大きな長所となり、人生を楽観視しながら、ハッピーに生きていけるでしょう。
漫然とできることは自己成長にはつながりませんが、自身が「良し」とする人生を歩むことで自己肯定感が強まり、それが魅力となり、その方にとっては素晴らし人生であると言えます。
まとめ
敏感な人が、努力して鈍感であろうしても、それを自覚している時点で、本当の「鈍感」ではありません。
そして、「鈍感」なことと、「鈍感力」は根本から質が違います。
人生経験を積み、何かを守るために時間をかけて自然と身につくような、本能的で感覚的な「鈍感力」を養うには、私自身はまだ年月がかかりそうですが、60代、70代以降の人生のために、今からできる自分磨きを楽めそうな気がします。
最後までお読みいただき、ありがとうございます(^.^)♪