きれいの素

年齢を重ねても、視覚障害があっても、小さな幸せはすぐそこに🎶

「これでよかった」と思えるときは、「全てが必然」と思えたとき。

こんにちは。もみじです♪

 

何か辛いことがあったとき、「これでよかった」と、すぐに切り替えることが出来るときと出来ないときがあります。

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私自身が、切り替えが早くなったのがなぜなのか

 

振り返ってみたところ、難病といわれる視覚障害を受け入れた…ということもありますが、もう一つの要因は、幼少期の吃音の経験でした。 

www.kirei-no-moto.com

 

もうずっと昔のことですがよ〜く憶えています(^.^)。。。

 

『ものごころ』ついた5歳くらいからの記憶をたどると、できれば誰にも言いいたくない苦しい思いをしたことの一つです。

 

きっと誰にでも、そんな気持ちになることはあるのかもしれませんが、「苦しい」という感覚には個人差があって、

 

物事の捉え方や心の忍耐力によって、起きている現象より、どう捉えて何を選択したかで、落ち込み具合は人それぞれ。

その先の道(人生)は、その人の数だけあるわけです

幼少期から思春期は吃音で苦しんだ

もみじは幼少期から吃音がありました。

それを隠したいと思った思春期前半、人前で話すことへの極度の緊張感から、大衆の前では声が出なくなりました。

 

普段、友達とのたわいないお喋りは全く普通にできるのですが、人前、電話、その他、「あ、だめだ!」と思った瞬間に呼吸が浅くなりアウト!

全く声が出ないのです。

 

あれは辛かったですね…。思い出すだけでも呼吸が浅くなる(><)。

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催眠療法で克服

学生時代までは、ひたすら逃げに逃げ回りました。

親には内緒で学校の授業をずいぶんとサボりましたし^^;

 

「今日は日だから、出席番号番の自分は音読があたる!」という日は必ず休むわけです。

 

そして社会人になり、

催眠療法に通い、半年間…、呼吸法を習って克服したのです。

 

今になって思えば、催眠療法が効いたというより、催眠術にかかりやすいと判断されたことで、「呼吸法でリラックスする方法を身につけた」ということだったように思います。

 

そして、「ありのままの自分でいいや」と思えたことも克服できた大きな要因だったと、思っています。

何でもカッコよくこなしたい…と見栄をはっていたころは、心がガンジガラメでした。

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今、堂々といられるのは

今になって思うのは、5歳から成人するまで、ずっと抱えていたコンプレックスが私を強くしてくれたということです。

 

今の仕事を始めた30代前半、ある方に言われた言葉…

「コンプレックスがある人のほうが努力する」

この言葉を信じ、ひたすら努力しました。

 

何を努力したか?

それは「経験を積む」こと。

人前で話す機会から逃げず、飛び込み、ひたすら現場を経験する。

そして、

人生は一回であることをいつも強く心に言い聞かせる

 

そうしているうち次第に、等身大の自分で臨むことに恥ずかしさを感じなくなり、あんなに苦しかった学生時代のことを、こうして書きおろせるようにもなりました(^.^)。

 

何も怖いものはなくなり、自分が本当にしたいことに向かうことができるようになったのです。

 

講義やスピーチの機会をいただき、大衆に向けてのスピーチも何度か経験しました。

いつも事前準備はしっかりとし、気持ちに余裕を持って臨むことを心がけ、逃げていたことに挑戦している自分を心の中でたくさん褒めてあげました♪

 

そしてある日、「これでよかった」と思えたときがあったのです。

 

幼少期からの苦しかった吃音は、私に「努力は報われる」ことを教えてくれ、人生で一度は「大衆の前で話してみたい」という夢をも叶えてくれました。

 

はじめからそうなると思っていたわけではなかったけれど、結果として大きな成長となって自分に返ってきたのです。

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苦しかったことも必然だった

人は、自分以外の人の気持ちを全て理解することなどできませんが、少なくてもそれに近い経験をしたとしたら、人の心の傷みに寄り添うことはできます。

 

苦しい経験をしたときに、

「なぜ私だけが?」って思うようなことありますよね。

 

この世からいなくなってしまいたい気持ちになるくらいに、心が壊れてしまいそうな思いをしたことがあるとしたら…

 

同じように苦しんでいる人に、

「わかるような気がするよ」という寄り添い方ができる…。

 

私自身にとって、きっとこの経験は必要だった…「必然」だったのだろうと、今になって強く感じています、

劣等感の塊が重くのしかかる経験をしておいてよかった。

そんな気持ち。

自分に必要な過去だったということです。

 

全てを糧に、これからの自分に何ができるか、自分を磨きながら様々なことを思い描いて、人生の晩年を生きています(^.^)。

おわりに

私が思うに、コンプレックスは宝です。

アナウンサーの小倉智昭さんも、元首相の田中角栄氏も、「ひどい吃音症だった」ということを聞いたとき、人生において眩しい光を放つ前の人生で大きな陰があったことを知りました。

 

出来ないことを悔やむより、出来ることを見つける。

 

明日また何か別の「出来ないこと」に遭遇してしまったら、また「出来ること」を見つける。

そんな自分を褒めて生きていけたらと思います☆彡

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます(^.^)♪

 


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