こんにちは。もみじです♪
ご無沙汰しておりました(^.^)
2ヶ月ぶりのブログです♪
また、よろしくお願いします。
実家でひとり暮らしをしている高齢の母が、大腿骨頸部骨折で緊急入院しました。
「 このまま施設…?」と諦めていたなか…
なんとほぼ元通りの生活に復活(^^)♪
やはり人生100年時代ですね♪♪♪
慣れた自宅の庭で転ぶ
ちまたでよく聞く「歳をとってから転んだら終わり…」
2月初旬、
家族の心にその言葉が重くのしかかりました> <。
ガーデニングが趣味の母、
庭作業中にナメクジを見つけ、
除去剤を取りに行こうと一歩踏み出したそのとき、
・段差
・焦り
・サンダル
この3つの条件が重なり、庭の水栓の大きなパン(流し)のコンクリートの枠(高さcm)につまづき…。
コンクリート上に尻もち!!> <‼
後で聞くと「コツン!!‼」と音がしたらしい(*_*)
そのまま動けなくなり、ご近所さんの助けを借りて、
87歳にして生まれてはじめての救急車です。
たまたま風邪気味だったのか、
今思えば、あとで発覚した「胸水」のせいなのか…
微熱と不整脈があった母は、コロナ禍で受け入れてくれる病院がなかなか見つからず、車中で簡易検査をし「陰性」を確認。
30分以上も待機の末、車で1時間ほどの距離にある某病院に運ばれました。
心不全による胸水が発覚!
大腿骨頸部の骨折部位が粉砕していたため、すぐにでも手術が必要という状況だというのに、なんと骨折とは関係ない内科的な疾患が見つかり、手術できないかも?(・・;)
心臓が手術に耐えられない…かも…
という予想外の事態に!
「もし手術できない場合は、このまま寝たきりです………。」
そのような内容を医師から告げられ、家族は一同困惑(*_*)
そしてその場合、どのタイミングで誰から、どんなふうに母に告知するの?(/_;)
と動揺…。
手術しなくても、しても「寝たきり」?
医師からの話は…
「手術できて脚が回復したとしても、心臓や肺に負担がかかり肺炎で寝たきりになるかも?」
というリスクが・・・。
手術できなかったら寝たきり。
手術できても、寝たきり…?
「寝たきり」の話ばかり。
母本人も私たち家族も、
「たとえリスクがあっても手術してほしい!」
という同じ気持ちであることから、その想いを医師に伝え…
手術ができる体になるように、まずは少しでも胸水(何らかの原因で胸腔に液体がたまる)を少なくする治療をはじめました。
胸水を排出できるよう利尿剤を使っての治療を一週間ほどしたところ、効果あり!
幸いにも翌週、手術ができるまでの改善がみられたのです。
入院から10日後、ようやく手術することができ、おかげさまで無事に成功!
悶々とした10日間が過ぎ去りました。
なんとも大掛かりな立派な金属を大腿骨部に埋め込み、翌日からさっそくリハビリが始まったのです(^.^)
母の苦痛と訴え…
ここまで記憶をたどりながら書き進んできましたが、
リハビリが軌道に乗るまで、日々重なる母の苦痛の訴えは忍ないものでした。
初めての入院生活、初めてのオムツ…
初めての…(あれこれ(> <))
排泄に纏わる苦しさ、屈辱とやるせなさ、胸水が多いことでの息苦しさ…などなど。
コロナ禍で面会は全面的に禁止だったため、病院のはからいで携帯電話は自由に使わせてくれていて、
毎日、数分、時には調子が良いとき、または逆に切ないがゆえに誰かと話していたいときなど、20〜30分間、話すことができました。
電話をかけると開口一番、か弱い声で、
「苦しい」「せつない」「つらい」
「こんな状態が続くなら心臓が止まってもいい…」
そんな訴えを連日のように聞き、私はただただ「お母さん頑張って〜」の気持ちで回復を祈るばかり。
自分に出来ることといえば、そんな「苦痛の声」を聞くことを毎日の日課にすることと、留守の実家の風通しに行って、庭の草花の手入れをすることくらい・・・。(T_T)
なんと!1ヶ月半で退院
かなり体力を消耗しているように感じた私たち家族は、3〜4ヶ月の入院を見据え、実家にある食料品をほとんど引き上げた、その直後‼
担当医から電話。
「リハビリの効果が順調なので今月退院です」って…
なんと入院から1ヶ月半で退院となりました。
手術からは1ヶ月と4日(・・;
もうびっくり!
87歳!驚異的な回復ぶりです!\(^^)
母は超ヤセ型で体重30㎏台前半。
どうみてもか細く、虚弱気味。
本当に今の医療ってすごい!と感動しました。
引き上げてしまった実家の食料品!
慌ててまた運び込むという嬉しい悲鳴(笑)
そして3月下旬近く。
母は4点杖でゆっくりと…庭を踏みしめ、自宅の玄関に。。。
入院当初は、
もしかしたら、このまま寝たきり?
もしかしたら、このまま施設?
という選択をイメージしていた私たちは、奇跡の回復に感極まりました(T_T)☆
よく頑張りました。
お疲れさまでした。
おわりに
「母の人生、ここまでか…」と家族全員が思った母の大腿骨頸部骨折。
初めての入院で母が感じたコロナ禍での入院生活と、排泄時の屈辱など、壮絶だった体験は「話したくない」「思い出したくない」…と言っています。
退院後、ひとり暮らしに移行するまでのお話は次回、投稿させていただきます(^.^)♪
よろしければまた、お立ち寄りいただけましたら嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます(^.^)♪