こんにちは。もみじです♪
6年前の今日、愛犬が虹の橋を渡りました。
家族になったとき
引っ越してまもなく夫が単身赴任中、二人の息子と三人で暮らすなか、見知らぬ人が玄関前に突然立っていたり、夜中の物音がコワイ…などの気持ちから、番犬がほしい…と思うようになり黒柴クンを我が家に迎えた。
息子たちはマスコットのように毎日たわむれ、
獣医さんから「お父さんが不在ならお兄ちゃんがボスだね」と、しつけの要を担ったのは長男だった。
いつも一緒だった
海も山も、いつも一緒。
ペットホテルに預けられることと、病院が大嫌いだったので、いつでもどこでも連れて行った。
もはやマスコットではなく、正真正銘、我が家の三男坊になっていた♪
散歩は3人でローテーション。
行けないときには、まるでバイトのシフト交換のように、きっちりと代役を立ててから、自分の予定を決め、どんなことがあっても、息子たちは散歩をすっぽかすことはなかった。
私が怪我をしたときは、長男は大学の研究室の都合をつけて、散歩をしに一時帰宅し、また大学に戻っていった。
次男もどんなに部活がキツイときでも、散歩をサボることは絶対になかった。
「犬の散歩のために、子供にそこまでさせる?」
と、周りの大人達は思ったかもしれない。
もちろんです(^.^)
なぜなら、
それは命だから…
家族みんなで迎えた、みんなにとって大切な命。
散歩を押し付け合うなんて絶対にしないことは、息子たち自らの姿勢だった。
家族で出かけるときは、いつでもどこでも
同じ景色を見て、そのぬくもりを感じていた。
12歳4ヶ月。虹を橋をわたる
12歳の誕生日を迎えた8月。
体調が不安定になりながらも、ご機嫌なときは笑顔を見せてくれて元気に走っていた。
お盆休みに田舎に帰省した時には、まだ無邪気に走ってはいたけれど、お腹の調子が良くなかったり、食欲が無い日も時折あった。
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その秋、
認知症の症状なのか、直径1mくらいの円を描くように、クルクルと回るようになった。
食欲も急激に落ちてきて、散歩にも行きたがらなくなった。
ちゃんと歩けない。
おかしい…。
私自身、幼少期から実家で犬を飼っていて、子供ながらに別れを何度か体験していたので、その様子に異変を感じ、直感的に心の準備をしはじめた。
病院…
連れて行かずに、家で看る。
そう決めた。
家族で話し合う、というより、即決だった。
ずっとそばにいよう。
私は仕事の都合をつけて、可能な限りずっとそばにいた。
夜中に切なくなると鳴くので、夫や次男と交互に一階に降りて、なでてなだめた。
長男は独立して同居してなかったが、次男が幼く散歩に連れていけなかった頃、ひたすらひとりで頑張った分、次男が「俺が看るよ」と話していた。
水も飲めなくなって6日目。
私はどうしても外せない仕事があったが、早く切り上げ帰宅。
昨日と変わらない呼吸で横たわっていた。
「待っててね〜」と、すぐにシートやおむつを変えてあげると、
身体を反り上げ突っ張った。
あ…この感じ…
「いいよ」と声をかけ抱きかかえると、
待っていたかのように…、
私の腕の中で、ワンワンワンワンと4回吠えて、
12月10日、18時40分。
す〜っと心臓の鼓動が止まった。
4回…。
最期は鳴き声の数だけ、家族の名前を呼ぶと聞いたことがある。
涙が止まらなかった。
寝顔はとっても穏やかだった。。。
おわりに
心臓が止まってからの写真、病んで意識がもうろうとしている時の写真、集団火葬ではなく、一頭だけで火葬してもらう事を選び、家族でお別れした時の写真…たくさん撮りました。
それはブログに投稿することはできませんが、最期が近づくときの健気な姿も、心から愛おしかったです。
動物は言葉を話しません。
私達家族のいろんな秘密(?)を、いっぱい見ていて、虹の向こうに持って行ってくれたのかな…^^
12歳は若かったかもしれない。
でもそれが彼の命の時間だったと私達家族は思っています。
たくさんの愛と命に限りがある尊さを教えてくれてありがとう。
6年も前のことですが、昨日のことのように思い、彼は今でもそこにいる気がしています。
最後までお読みいただき、ありがとうございます(^.^)