こんにちは。もみじです♪
今回は、50代の自分が嫁の立場として、高齢の姑と、ついに快適な関係性になれた方法をお伝えします(^.^)♪
以前に、自分が姑として、嫁と関わる上での心構えをお伝えしました。
なんとアラフィフ世代は、息子の嫁と、夫の母である姑、両方と関わる素敵すぎる世代です(^^ゞ
息子の嫁を迎えたことで、姑としての様々な心構えをするわけですが、
自分が姑という立場を知ったからこそ、夫の母である姑が、今までどんな気持ちで自分に接していたかを身をもって知ることができ、その感情を踏まえ、笑顔で付き合える方法を4つお伝えします(^.^)
①とにかく大目に見る
まずは、とにかく大目に見る=許すことです。
「人生の先輩なのだから、しっかりしていて当たり前」という世代を過ぎた80代のおばあちゃんです。
たいていのことは大目に見てあげるということです。
自分が20代で、姑が50代の頃を思い出すと、お互いが心のキャパが今ほど広くなく、小さなことで相手に不信感を持つようなことが多々ありました。
ですが姑が80代も半ばを過ぎた頃になると、一度言ったことを覚えていないのも、同じ話を何度も繰り返すのも、仕方のないこと…と思えたら、昔は腹が立っていたことも何も感じなくなります。
以前はチクリと刺さったような言葉も、楽しめたりして…笑
コツはは「え?」「むかっ!」と感じたら、スルーする!
『言いたいこと言っちゃって~』
『言われてる人のことを思いやる余裕がなくなっちゃったのね』と。
②「すごい!」と思う
リアクションに困る言葉を投げかけられたら心で褒めます。
『一言多い』『イヤミかしら?』と感じたときは、「よく頭が回転していて素晴らしい!」と心の中で褒めてあげるのです。
その場を俯瞰して見ることが大事です。
自分が言われているという当事者の感覚ではなく「ドラマ」を見ている感覚。
そうすると、不思議なくらいに、若い頃に感じていた不快感が一切無くなます。
むしろ、その言動を楽しめて笑ってしまうかも知れません(笑)
(そんな言い方しちゃうの?あらあら(^_^;)って)
③「言えない」のではなく「言わない」ということを自覚する
これはとても重要な意識です。
相田みつをさんの
やれなかった、やらなかった、
どっちかな
という言葉があります。
「やれなかった」のではなく「自分の意思でやらなかった」ということです。
日常の中で、それを自覚している人が意外に少ないように思われます。
私自身、20年以上、姑に対して「そんなこと言えない」とずっと思っていましたが、
「言えない」のではなく、「言わない」のだということを、自分自身が自覚した時、
言わないのは自分の意思なので、意思通りにしていることに対して不満を持つことがおかしいということに気づきました。
姑に対して『言いたいことがあれば言えばいい』
それだけです。
言いたいことを言えないというのは、自分で自分を守れず、誰かのせいにしたい、という心の表れだと私は思います。
要は、相手が傷つくのを最小限にとどめたり、傷つかない言い方を持ち合わせていない、自分の語彙の無さや、相手を思う心の弱さが「言えない」を作り出すのです。
④タイムリミットが本物であることに気づく
今の状態がこれから先、何十年も続かないという本物のタイムリミットがあることに気づくことです。
自分が20代の頃は、「あと何十年この状態が続くのだろう」と思ったものです。
でもそこから30年以上という年月が経ち、もうこの後、何十年もこのホットな関わりは続かないであろうと思った時、チクリとくる言葉や態度も「もしかしたら、これが最後かもしれない」と思うのです。
そして大往生の末、お見送りをしたあとの、自分の晩年の人生を元気に生きるために、自分自身の心身の健康を保たなければなりません。
自分なりの「姑との楽しい向き合い方」を体得し、互いに笑顔でいられる日々を一日でも多くつくりたい…。
と、この歳になり改めて思う次第です。
おわりに
様々な環境で、それぞれの関係性は異なり、一概には言えないことがたくさんあるかと思います。
しかし、きれいごとでも何でもなく、
・自分自身がどんな気持ちで毎日を過ごしていきたいか。
・どんな人生にしたいか。
それに尽きると思うのです。
自分自身が、気持ちよく笑顔の多い人生にしていきたいと思うのであれば、そうなれるような物事の捉え方や考え方をしていけばいいだけなのです。
自分以外の誰かを変えようとするほど、疲れることはありません。
心が尖ってしまい、笑顔は生まれません。
恥ずかしながら私自身、結婚生活30年余り経ちますが、結婚後20年経った頃に、その意味を初めて知りました。
気づいた当時、幸いにも義父母が健在だったので、気づいたその日から関わり方を変えて今日に至り、今現在は義母のみではありますが、心地よく、程良いスパイスを浴びながら、何があっても笑いに変えていけるようになりました。
色々な意味で、生きることそのものから、肩の力が抜けた気がしています。
最後までお読みいただき、ありがとうございます(^.^)♪