こんにちは。もみじです♪
子供の頃、
「散歩」といえば、お年寄りが暇つぶしにするもので、
「ウォーキング」はスポーツ系の人が身体を鍛えるためにするもの…と思っていてた…
「散歩をする時間なんてない」と思っていた
今までの生活を振り返ると、コロナの影響がなければ、これほど一人で在宅することもなく、仕事で人と会ったあと夕方にはバタンキュー。
「散歩をする体力も時間もない」…そんな毎日。
健康に関するアンケートで決まって聞かれることは、
『健康のために毎日何か運動をしていますか?』
毎回「いいえ」と答えては、
「なかなか時間なくて…」と、意思の弱さを指摘されているようで、ごまかしたい一心(^^ゞ
それでも愛犬と散歩していた頃は、生活にリズムが付いていたのですが…
7年前に愛犬が他界してからは、そのリズムも乱れ…
今日は暑いから、
今日は寒いから、
今日は風が強いから、
今日は雨が降っているから、、
何かにつけ行かない理由を見つけては、家の中でちょっと青竹踏みをしておしまい^^;
骨折とコロナが散歩のきっかけ
昨年の10月末に不注意から3度めの足の骨折をし、仕事も控え始め、完治してからはリハビリを兼ねて毎日の散歩を日課にして、この調子で習慣化していこう!と思った矢先、コロナで外出自粛。
マスクをし、黙々とひとり、人気がない時間に近所を歩く毎日。
怪我をしたり、感染予防などによる生活の変化から「ひとり時間」がこんなにも増え、こんなにも自分自身と向き合うことになるなんて…
良くも悪くも、
本当に色んなことを考えました。
散歩は心のためにする
先日ラジオ聞いていたら、耳に飛び込んできたゲストの鈴木杏さんの言葉。
「散歩は心のためにしています。
もちろん身体のためでもありますが…心のために歩いています…」
と。
ウォーキングというニュアンスではなく「散歩」だそうです。
杏さん曰く
「考えなければいけないことがあると、そればかり考えてしまうので、考えなければいけないことを考えない時間を作る…」とのこと。
その言葉が心の深いところにドスンと響き、自分自身の散歩の意味が、まさにそれであることにきづいたのです。
美しい花や、澄んだ空に向けてシャッターを押す、
その瞬間、頭の中も心の中もマイナスイオンいっぱい。。。
野生で咲く花が、懸命に太陽の光を求めて上へ上へと向かう健気さに心を寄せ…
ぼんやり遠くを眺めたり、
目を閉じて川の水が流れる音を聴いたり、
川面に映る夕陽に見とれたり…
おわりに
足腰に意識を向けて筋力を付けるために歩くことはもちろん大切ですが、心の安定のためにゆったり歩くことは、もしかしたら、筋力をつけるためのウォーキング以前に大事なことのように思えます。
心が安定していないと、靴を履いて外に出る…という、その一歩が踏み出せなくなるからです。
ゆったりな散歩を
心のために…
無理なく毎日、続けていきたいものです(*^^*)
最後までお読みいただき、ありがとうございます(^.^)♪